AT教授法にて①
こんにちは、高椋浩史です。
AT教授法についての記事を個人のブログに載せたのですが、いや、こちらに載せるべきだろうという同僚の指摘を受けたので、こちらにコピーを掲載いたします(笑)。
体験参加も受け付けています。
〜ここから〜
「本当はアレクサンダー・テクニークなんてないかもしれないよ。」
先日のAT教授法のクラスで生徒に伝えた言葉です。
その時の僕の真意は、「ATを習得しようとすると、ほぼ100%固まりますよ。」ということでした。
ATを学ぶということの本質は、F.M.アレクサンダーさんの発見を自分に応用して、自分について学ぶということです。
そこでの教師の役割は、F.M.アレクサンダーが3面鏡の前で約10年間、自身を観察したように、鏡として生徒さんが気づいていない習慣(クセ)に気づかせてあげるということです。
だから、ATをマスターしようと頑張っている生徒さんをみると、「それって無理じゃねー、でもそれも学びだからいつか気づいてね。」と思ってしまうのです。
僕は教師になりたい人はそこも経験しておくといいと思っていますが、一般の人が学ぶ時は、そこはスルーして学んでほしいなと思って教えています。
という訳で、ATを学ぶ=自分を学ぶなので探求に終わりはないし、どこまで学んだら終わりかを決めるのも生徒さん自身ということになります。
もしかしたら中には「自分自身をマスターしました。」という生徒さんがでてくるかもしれません。
実際のところ、今まで2人それに近い状態までいったのではないかという生徒さんのその瞬間を見たことがあるのですが、「すげー、そんなことも起こるんだ」ってただただ、眺めているだけでした(笑)
そう、教師は鏡なので、生徒さんが何をどこまで学ぶかは正直わからないし、教師のいるところをあっという間に越えて行ってしまう生徒さんがいても何の不思議もありません。
一方で、レッスンで「分かりました。分かりました。」を連発するけど、自分は1mm足りとも変わる気はありません。っていう生徒さんもたまにいます。
こんな時は「知識として分かっても何の意味もないんだけどなー、今は守っているんだね」と思いつつも、とっかかりを探しながらレッスンを進めて行きます。
習慣はそれまで自分を守ってくれていたものなので、それを手放すためには、その習慣がなくても大丈夫という体験を本人が納得するまで繰り返すことが大事になります。
教師が鏡としての役割を果たしただけで、自分でどんどん変わって行ける人は僕の感覚では2割ぐらいかなと感じています。
なので、ここに教師の第2の役割が出てきます。
それは、生徒さんにサポートを提供するということです。
すべて手取り足取り教えて、変化をさせてあげても生徒さんは自律することはできません。
生徒さんを依存させずに自律してもらうためにどの程度サポートするかというさじ加減は一人一人違うので、そこが教えていて面白い部分だと感じています。
AT教師はATを教えているのではなく、人の成長をサポートしています。
だから、ATおたくになるのではなく、まずは自分を含めた人間というものに興味を持って欲しいなということを教師になりたい人には伝えていきたいと思っています。
〜ここまで〜