体の発する小さな声
こんにちは。
火曜夜を担当している滝波日香理です。
アレクサンダーテクニークを学び始めると、
自分自身の内側で起きていることに気づく力が発達します。
例えば音楽が好きな人が、たくさんの楽曲を聴くことで
微妙な音色の違いを聴き分ける力を育むように、
アレクサンダーテクニークでは、
自分の体に耳を澄ます練習を繰り返すことにより、
体の発する小さな声(筋肉の繊細な収縮)が聞こえるようになるのです。
その声は、いつも私に大切なことを教えてくれます。
数か月前のある朝のことです。
私は通勤のため駅へ向かって通りを歩いていました。
そのとき私は、ふと、横を走りすぎたバスの行き先表示を、
視線を止めて、じっと凝視している自分に気がつきました。
私には以前から一点を凝視してしまう強い強いクセがあって、
レッスンでもそのことをよく先生に指摘されていました。
でもその日は自分自身で気づけたので、我ながら大きな進歩です。
「それにしても、一体なぜ凝視してしまうのかな?
そのバスに乗りたかったわけでも、
行き先に興味があったわけでもないのに」
以来、心の右斜め上あたりに、
そんな疑問をぶらさげて毎日を過ごしていました。
そして先日のこと。
会社帰り、駅のホームに立っているとき、
またしても一点を凝視している自分に気がつきました。
「ああまたやってるな」と思ったそのとき、
答えが突然やってきました。
そうか、私はまわりの刺激を遮断したいんだ。
知らない人とエレベータで乗り合わせたときに、
階数表示を見つめてしまうようなときなどがそうです。
ちょっとした居心地の悪さを感じないようにするために、
どこかを凝視することで注意をそらしているのです。
バスの行き先表示を凝視していたあの朝も、
駅のホームに立っていたその時も、
意識できるほどの強い刺激があったわけではないけど、
私は目を動かさずに感覚を遮断して、
刺激に反応しないことで何かから身を守っていたのでしょう。
そのことに気づいた瞬間——私の目に風景が押し寄せてきました。
近くを歩く人、人、人、
走り去る電車の車両、
遠くに見える信号機の赤い光、
その向こうに広がる曇り空……
すべてが視界に入るがままにしてみると、
世界は実に色鮮やかで、みんな生きて、動いて、そこにいて…
なんだかきれいで、いとおしい感じがしました。
そして、その中に自分がいることにも気づきました。
「まわりに反応していいんだよ」と、
体の発する小さな声は、そんなことを教えてくれたようでした。