新説?珍説? 

こんにちは、高椋浩史です。

今日、佐藤拓さんと話をしていて、なぜF.M.アレクサンダーの教え方が確立されたのかということの新しい可能性を思いつきました。

アレクサンダー・テクニークにはいろんな教え方があって、主には

F.M.アレクサンダーが教えた方法である、主に椅子から立つ・座るという行為の中で学んでもらうトラディショナル派と

F.M.の弟子のマージョリー・バーストー(以下マージ)が始めた自分がやりたい行為の中で学ぶ、バーストー派の2つです。

F.M.も始めは言葉を使って教えていたそうですが、生徒があまりにも出来るようにならなかったので、思わず手を使って教えたら上手くいったという逸話が残っています。

今まで僕は、F.M.は緊張が強い人達に教えていたので、手を多用し教師が導いて教えるスタイルになったのだと思っていました。

一方でマージは若いダンサーのグループに教え始めたので、彼らのモチベーションを上手く活用して、実際にやりたい行為の中で学んでもらう方法を編み出しました。生徒が若くて変化しやすかったので、必要最小限の情報を与えて、生徒に自分で考えて学んでもらうというスタイルです。

ところが、今日の拓さんとの話のなかで、あちら(西洋)の人はとても理屈っぽく、頭で納得するまでレッスンが進まないことがあるんだという話を聞きました。

もしかして言葉を使って教えると水掛け論のようになってしまったりして、それで、言葉を介さずに手を使って教え始めたのでないか?

という新たな可能性に思い至ったのでした(笑)。

海外からくる教師達が日本人の学び方は素晴らしいと絶賛しているのを何度も聞いているのですが、(一方で自分でやりたいことを手を挙げて言わないという感想も聞きますが。)

僕は西洋人ってどんな学びかたするん?って常々思っておりました。

そこのところを拓さんにそのうち語ってもらいたいと思っています。

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